グルジの軌跡③[KPJAYI HPより]

2017/01/21

→グルジの軌跡⑥[ 一族への継承とその経過 ] 

 

→グルジの軌跡⑤ [ティーチング] 

 

→グルジの軌跡④[ ファミリー]


→グルジの軌跡③[ ザ・マハラジャ] 

 

→グルジの軌跡②[ マイソール ] 

 

→グルジの軌跡①[ 幼少期 ] 

 

 

[  ザ・マハラジャ  ]

 

グルジとクリシュナマチャリヤが再会した頃、マイソールのマハラジャ(*1)、シュリ・クリシュナ・ラジェンドラ・ウォディヤー (Sri Krishna Rajendra Wodeyar)(*2)は突然病気を患いました。

他のすべての療法で成果を得られなかったラジェンドラは、自らを助けることができるかもしれない素晴らしいヨギ・クリシュナマチャリヤの存在を知らされ、彼を宮殿へ呼び寄せました。

 

クリシュナマチャリヤはヨガを通じてマハラジャの病を治癒しました。

 

感謝の意をもって、マハラジャは彼のためにヨガシャラ(ヨガの修練場)を宮殿の敷地内に設立し、ヨガのデモンストレーション公演や、テキストの学習、他のヨガ学校やスタイルの調査・研究のために、グルジのような模範となる学生とともにクリシュナマチャリヤを国内中へ派遣しました。

 

宮殿のヨガシャラでは約100人の学生が養成されました。

 

マハラジャは特にグルジが好きで、ヨガのデモンストレーションを行うために早朝4時に宮殿に召喚しました。 

 

1937年。

学生のままでいたいという当人の欲求に反し、マハラジャはグルジにサンスクリット語の大学でヨガを教えるよう命じました。 グルジは最初のヨガ学部を設立し、その後、彼の引退によりその学部が完全に閉鎖される1973年まで指揮をとりました。

 

マハラジャは1940年に亡くなり、クリシュナマチャリヤへの長い支援にも終止符が打たれます。

 

尊敬された講師であったクリシュナマチャリヤが1954年にマドラスへ発つ頃には、彼の元には熱心な生徒であったグルジと、彼の友人であったC. Mahadev BhattとKeshavamurthyの3人しか残っていませんでした。

 

指導を一生涯の仕事とし、マイソールでクリシュナマチャリヤの教えを伝承したのは唯一グルジ一人でした。

 

 

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(*1) マハラジャ

[Maha:偉大なる Raja:王]

 

(*2)シュリ・クリシュナ・ラジェンドラ・ウォディヤー四世
(Sri Krishna Rajendra Wodeyar Ⅳ  / 1884~1940 )
1902年から1940年に渡りマイソールを統治。

イギリスによる植民地化によりマハラジャ達の統治体制が崩れてゆき、第一次~第二次世界大戦の勃発により就労難や経済的不安へと陥ったことに加え、解放運動などの混乱の最中にあったインドで、
ラジェンドラはマイソールのこの混乱を温和・かつ真摯に治め、産業発足および技術者の育成に力を注ぎ、大学を設立するなど多くの人々や女性への教育の推進を行い、音楽や哲学などの保護支援にも積極的でした。

 

アジア初の水力発電所でったシヴァナサムドラ水力発電所の設立も彼の功績のひとつであり、現在のIT産業の中心であるベンガルールへの初めての送電元となりました。

 

マイソールを’ Model State ‘と呼ばれるまでに発展させた中心人物。



 

→グルジの軌跡⑥[ 一族への継承とその経過 ] 

 

→グルジの軌跡⑤ [ティーチング] 

 

→グルジの軌跡④[ ファミリー]


→グルジの軌跡③[ ザ・マハラジャ] 

 

→グルジの軌跡②[ マイソール ] 
 

→グルジの軌跡①[ 幼少期 ] 


 

 

 

原文引用 /   http://kpjayi.org

 

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The Maharaja

 

During this time, Mysore’s Maharaja, Sri Krishna Rajendra Wodeyar, fell suddenly ill. 

Informed of a remarkable yogi who might help him where all others had failed, he sent for Krishnamacharya, who cured him through yoga. 

 

In gratitude, the Maharaja established a Yoga shala for him on the palace grounds, and sent him, along with model students like Guruji, around the country to perform demonstrations, study texts, and research other yoga schools and styles. Some one hundred students were schooled at the palace yoga shala.

 

The Maharaja was especially fond of Guruji and would call him to the palace at four in the morning to perform yoga demonstrations. In 1937, he ordered Guruji to teach yoga at the Sanskrit University, in spite of his desires to remain a student. Guruji established its first yoga department, which he directed until his retirement in 1973. The department was permanently closed after that.

The Maharajah died in 1940, bringing an end to Krishnamacharya’s long patronage. By the time the esteemed teacher left for Madras in 1954, he had only three remaining, very dedicated students: Guruji, his friend C. Mahadev Bhatt, and Keshavamurthy. 

Guruji was the only one who considered teaching his life’s work, and carried on Krishnamacharya’s legacy in Mysore. 

 

 

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2019年10月末〜11月に予定されていた

メイン講師(Nika)の渡印がキャンセルとなりました。

11月は一部日程を除き基本的には [ 通常開講 ] となります。

現在、ビギナーズコースの開催を予定していますが

詳細は追ってお知らせいたします。

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11月末の講師渡印がキャンセルとなりました

September 14, 2019

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