グルジの軌跡⑤ [KPJAYI HPより]

2017/01/31

→グルジの軌跡⑥[ 一族への継承とその経過 ] 

 

→グルジの軌跡⑤ [ティーチング] 

 

→グルジの軌跡④[ ファミリー]


→グルジの軌跡③[ ザ・マハラジャ] 

 

→グルジの軌跡②[ マイソール ] 

 

→グルジの軌跡①[ 幼少期 ] 

 

 


[ ティーチング ]

 

彼らの当初の生活は楽なものではなく、グルジはサンスクリット大学でヨガ指導を行っていましたが、1カ月10ルピの給与は5人家族の生活を保つのに充分とは言えず、暮らし向きが幾分か安定したのはグルジが50歳半ばで教授に就任したときでした。

1948年。

グルジはヨガを治癒的側面から実験するため、ラクシュミプラムのとても小さな2部屋の自宅にアシュタンガヨガ研究所(AYRI : 現KPJAYI)を設立します。 

 

警察長官から執務官・医師まで地元の多くの職員達が彼とともに練習し、地元の医師達は、糖尿病、心臓および血圧の問題およびその他の様々な病気の治療を手助けするために患者をグルジの元へと送ったのでした。


1964年。

グルジは自宅の裏に12人の学生を収容できるヨガホールと二階の休憩室で構成された建物を増築します。

 

その同年に、ベルギー人のアンドレ・ヴァン・リースベスがグルジの元生徒であったスワミ・プルナナンダの推薦を受けAYRIに到着し、2ヶ月の間グルジはこの外国人にプライマリーとインターミディエイトを教えました。

 

その後すぐにヴァン・リースベスがグルジの写真の載った「プラナヤマ」と呼ばれる本を書きアシュタンガ・マスターをヨーロッパ人に紹介すると、彼らはのちにグルジを探し出しマイソールで学んだ最初の西洋人となり、1971年にはアメリカ人がその後に続いたのでした。

 

 

グルジはすでにクリシュナマチャリヤ、そしてアンマと印度中を旅し、ヨギ達との面会や、学者達との議論・ヨガのデモンストレーションの提供を行っていました。 

 

彼はスワミ・シバナンダ(*1)とカンチプラム(*2)のシャンカラーチャーリヤ(*3)と面会し、ヨガの科学的研究で有名なスワミ・クリャナンダとスワミ・ギータナンダとも親睦を深めました。 

 

 

グルジのアシュタンガヨガはインド全域に広がっていましたが、彼がサンスクリット大学から退職したのと同じ年1973年にブラジルのサンパウロに招待されるまでは海外のコミュニティには到達していませんでした。 

 

その翌年、彼はカリフォルニアのエンシニタスを訪れ、それはフランス・スイス・フィンランド・ノルウェー・イングランド・オーストラリアも含んだ初めての多国への指導の旅となったのでした。
 

その後20年の間に、パタビジョイス(グルジ)の言葉とアシュタンガヨガは徐々に国境を超えて世界へと広がり、マイソールに来る学生の数は着実に増えていったのでした。

 

1998年。
グルジはマイソール郊外のゴクラムに住居を移し、ラクシュミプラムの研究所で指導を続けましたが、小さな部屋に収まりきらないほど多くの留学生を受け入れていたために、彼はゴクラムの自宅の向かい側により大きなホールの建設を始めます。

 

新しいシャラは数日間のプジャ(お祈り)や儀式とともに2002年に正式にオープンしました。

 その4年後、フロリダ州イスラモラダ研究所開設への着手により米国で学校を開くという彼の夢は実現され、
グルジは2006年に設立式の指揮をとり、海外への最後の渡航を務めたのでした。

 

 

 

(*1)スワミ・シバナンダ

シヴァナンダヨガ創設者

 

(*2)カンチプラム

南インド / タミル・ナドゥに位置する古都(現カンチプラム県)

 

(*3)シャンカラーチャーリヤ

[ シャンカラ=シヴァの化身 ] [ アーチャーリヤ=頭首]

8世紀前期にアドヴァイタヴェーダーンタ(一元論)の哲学理論を確立した賢者Adi Shankaraの名から、

のちに東西南北のアドヴァイタヴェーダーンタ寺院を牽引する者(Matha)の敬称として現在まで引き継がれている。
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→グルジの軌跡⑥[ 一族への継承とその経過 ] 

 

→グルジの軌跡⑤ [ティーチング] 

 

→グルジの軌跡④[ ファミリー]


→グルジの軌跡③[ ザ・マハラジャ] 

 

→グルジの軌跡②[ マイソール ] 
 

→グルジの軌跡①[ 幼少期 ] 


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原文・画像引用元 / http://kpjayi.org

 

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⑤Teaching

 

Life during the early years was not easy. Although Guruji had a yoga teaching position at the Sanskrit University, his ten-rupee-a-month salary was barely adequate to maintain a family of five. [Their circumstances eased somewhat in the mid-fifties when he became a professor.] In 1948, Guruji established the Ashtanga Yoga Research Institute in their tiny two-room home in Lakshmipuram with a view toward experimenting with the curative aspects of yoga. 

Many local officials, from police chiefs to constables and doctors, practiced with him. 

Local physicians even sent their patients to Guruji to help with the treatment of diabetes, heart and blood pressure problems and a variety of other ailments.

 

In 1964, Guruji added an extension to the back of his house, consisting of a yoga hall that held twelve students, and a resting room upstairs. That same year, a Belgian named Andre van Lysbeth arrived at the AYRI on the recommendation of Swami Purnananda, a former student of Guruji’s. For two months, Guruji taught this foreigner the primary and intermediate asanas. Soon after, Van Lysbeth wrote a book called Pranayama in which Guruji’s photo appeared, and introduced the Ashtanga master to the Europeans. They eventually became the first Westerners to seek him out and study in Mysore. Americans followed soon after in 1971.

 

Guruji had already traveled widely in India with Krishnamacharya and with Amma, meeting yogis, debating with scholars and giving yoga demonstrations. He met with Swami Sivananda, and the Shankaracyarya of Kanchipuram, and befriended Swami Kulyananda and Swami Gitananda, both renowned for their scientific research in yoga. 

Guruji’s ashtanga had extended throughout India, but didn’t reach the overseas community until 1973 (the very same year he retired from the Sanskrit University), when he was invited to Sao Paulo, Brazil. The following year he went to Encinitas, California, the first of many teaching trips abroad, including France, Switzerland, Finland, Norway, England and Australia.

 

Over the next twenty years, word of Pattabhi Jois and ashtanga yoga slowly spread across the globe, and the number of students coming to Mysore steadily increased.

In 1998, Guruji shifted his residence to Gokulam, a suburb of Mysore, but continued teaching from the Lakshmipuram institute. 

By then, he was receiving more international students than the small room could handle, so he began construction of a much larger hall, just opposite his house in Gokulam.

The new shala officially opened in 2002, with several days of pujas and ceremonies.
Four years later, his dream of opening a school in the United States was realized with the launch of an institute in Islamorada, Florida.
Guruji conducted the opening ceremonies there in 2006, which served as his final trip abroad. 

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2019年10月末〜11月に予定されていた

メイン講師(Nika)の渡印がキャンセルとなりました。

11月は一部日程を除き基本的には [ 通常開講 ] となります。

現在、ビギナーズコースの開催を予定していますが

詳細は追ってお知らせいたします。

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11月末の講師渡印がキャンセルとなりました

September 14, 2019

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